■明治維新後、帝室技芸員として月山貞一共に日本刀鍛錬技術を支え続けた 宮本菅原包則 の短刀です。
帝室技芸員の制度は、皇室による美術作家の保護と製作の奨励を目的として、明治23年に フランスのアカデミーにならって制定されました。 制定から制度が廃止される昭和19年までの55年間に、わずか79名しか選出されず、帝室技芸員がいかに厳選された美術工芸作家であったかを示しています。
本作品は、皇大神宮=伊勢神宮内宮 明治22年の式年遷宮の際に調製された、御宝剣 の余鉄を以て鍛えられたもので、明治19年前後 包則57歳頃の作品になります。 小振りな姿に、乱れの高低の大きい沸の厚く付いた互の目刃文を焼いており、よく詰んだ小板目肌も見逃せません。 惜しむらくは帽子近くの小さな鍛え傷ですが、宝剣余鉄の作品故に あえてこのまま残しているものと思われます。 帝室技芸員 宮本菅原包則 円熟期の作品です |