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脇指 |
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寛保2年(1742) |
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54.1cm/一尺七寸八分 |
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1.4cm/四分六厘 |
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2.8cm/九分二厘 |
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0.6cm/二分 |
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1.9cm/六分三厘 |
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0.5cm/一分七厘 |
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一ツ |
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特別貴重刀剣 |
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愛知県22120号 |
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白鞘 / 銀無垢祐乗ハバキ |
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85万円 |
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鎬造 庵棟 反りはやや深く 元と先の身幅に差があり 棒樋を掻き流し 中鋒(きっさき)となる |
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板目肌詰む |
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焼き出しあり 大互の目乱れに涛瀾刃まじえ 匂い口太く 沸厚い |
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焼深く 小丸に浅く返る |
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生(う)ぶ 茎尻入山形 鑢目大筋違い 目釘孔一ツ |
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白鞘/銀無垢祐乗ハバキ |
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特別貴重刀剣 |


■大和郡山藩柳沢家のお抱え鍛冶 筒井紀充 の脇指です。
享保11年 柳沢吉里の召し抱えにより 大阪の河内から大和郡山に居を移した紀充は、いよいよその活躍の場を広げ、享保15年、8代将軍吉宗の内意により、2尺5寸の堂々たる刀を幕府に献上するに至りました。
その後も大和郡山にて作刀を続けた紀充は、宝暦元年 80歳にてその生涯を閉じています。

享保頃の作品は、裏銘年紀中 “年” の字を 津田越前守助広 の銘に似せており、助広に私淑したことを伺わせますが、本刀にも本歌のごとく 堂々たる涛瀾刃を表裏に表現しています。
さらには刃区(はまち)には 未だ生ぶ刃が残っており、260余年に亘って いかにこの刀が大切に継承されてきたかを物語っています。 地鉄も板目がよく詰み、いささかの緩みも見られません。
紀充最晩年の作品とも言える本刀ですが、銘のタガネは深々と力強く 地鉄にも力があり 技量いまだ衰えず、まさに献上鍛冶の面目躍如たる一振りです。

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■筒井越中守輝邦入道紀充 のりみつ(きじゅう)

本国大和 貞享頃 越中守包国子 河内横小路(東大阪市)より大和郡山へ移る
初銘 輝邦(てるくに)

元禄 6年 (1693) 紀充銘初見
享保11年 (1726) 和州柳沢吉里召し抱えにより 大和郡山へ移住
享保15年 (1729) 徳川吉宗の内意により 刀一振りを献上
寛保 2年 (1742) 本刀を作刀
延享 4年 (1747) 没 享年80歳

〈参考文献/日本刀名鑑〉
〈 〃 麗(平成11年2・3月号)〉

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